七.きょうどをひらく
武庫川(むこがわ)もあれば 武庫山(むこやま)ってあるの?
武庫川にヌートリア?
西宮にもホタルはいるの?
火垂(ほた)るの (はか)」のぶたいは西宮?
どうして 甲子園(こうしえん)っていうんだろう?
甲子園カレーって?
ボール (がた)絵馬(えま)とベース型の絵馬?
さよなら…阪神(はんしん)パーク
レオポンって?
(甲子園浜こうしえんはま) にあらわれるライオン
町方まちかた 浜方はまかた
 
『きょうどをひらく』 の関連HP
○ 上ヶ原用水
   ※上ヶ原用水や百間樋用水について。
○ 西宮のホタル
   ※船坂地区のホタルスポット
川と用水路 川と用水路
武庫川(むこがわ)があれば武庫山(むこやま)もあるの?
 実は,「武庫山」は,ありますよ。
 みなさんのよく ()っている山です。

 「六甲山」こそ「武庫山」だったのです。
昔は,「六甲山」も「ろっこうさん」ではなく,「むこやま」と ()ばれていました。 (みやこ)難波(なにわ)の都)の ()こうの方の山や川だということで,「むこうのやま」「むこうのかわ」ということから,「むこやま」「むこがわ」となったそうです。その「武庫山」に六つの (かぶと)がうまっていたという (せつ)から「六甲」という字を当てて「六甲山」(むこやま)となり,さらにモダンな言い方になり「ろっこうさん」となったのです。
武庫川にヌートリア?
 国道(こくどう)号線(ごうせん)を南に100mほど下った 岸近(きしちか)くの 中州(なかす)十数匹(じゅうすうひき)のヌートリアがいます。 昼間(ひるま)でも見ることができます。子どもや赤ちゃんも見ることができるかも。
西宮にもホタルはいるの?
 西宮市内でもホタルを見ることができるポイントがあります。

有馬川(ありまがわ)船坂川(ふなさかがわ)名塩川(なじおがわ)夙川(しゅくがわ)仁川(にがわ)などです。
ホタルの数も少しずつ ()えてきているそうです。
映画(えいが)火垂(ほた)るの(はか)」のぶたいは西宮?
 映画「火垂るの墓」では,夙川にある 河口 (かこう )回生病院 (かいせいびょういん )三角屋根 (さんかくやね )が出ています。だから二人が海につかったのは, 香櫨園(こうろえん)(はま)でしょうか。

二人の住んだ (あな )は, 満池谷 (まんちだに )のニテコ池のほとりのようです。
どうして甲子園っていうんだろう?
 甲子園 球場(きゅうじょう)完成(かんせい)したのは,大正13年8月1日です。
この年は 十干(じっかん)の「甲(きのえ)」と 十二支(じゅうにし)の「子(ね)」が60年に一度重なる年でした。これにちなんで甲子園と 名付(なづ)けられました。
 甲子園の土ですが,この (あた)りはもともと白い砂が多く,これでは 白球(はっきゅう)が見えにくいということで 黒土(くろつち)()ぜました。今は国内の黒土と中国 福建省(ふっけんしょう)白砂(しろすな)を混ぜて 使(つか)っています。
名物甲子園カレーって?
 甲子園カレーは大正13年の甲子園完成 当時(とうじ)からありました。
甲子園カレーの売り上げは高校野球の 時期(じき)よりも 圧倒的(あっとうてき)にプロ野球の時期の方が多く一日 最低(さいてい)でも4000 (さら)売れるそうです。
ボール (がた)やベース型の絵馬(えま)とお(まも)
 甲子園横の 素盞鳴(すさのお)神社ではボール型やベース型の絵馬(写真左)とボール型やベース型のお守り(写真右)が ()いてあります。
 高校野球で (おとず)れる 球児達(きゅうじたち)に人気の神社です。
 明治時代に (つく)られたこの神社には当時の 鳥居(とりい)がまだそのまま (のこ)っています。
さようなら・・・阪神パーク
 1929年(昭和4年)「甲子園 娯楽場(ごらくじょう)」としてのちの 阪神(はんしん)パークが 誕生(たんじょう)しました。 当時(とうじ)は, 温泉施設(おんせんしせつ),運動施設, 映画館(えいがかん)などが (あつ)まる 広大(こうだい)な娯楽施設でした。その後,動物園, 遊戯(ゆうぎ)施設, 水族館(すいぞくかん)などが 併設(へいせつ)され,たくさんの 家族連(かぞくづ)れでにぎわいました。
戦後(せんご)場所(ばしょ)(うつ)して 営業(えいぎょう)再開(さいかい)しましたが,2003年(平成15年)に 閉園(へいえん)しました。
現在(げんざい),大きな 商業(しょうぎょう)施設になっています。
レオポンって?
 1959年(昭和34年),ヒョウを父,ライオンを母とする 世界最初(せかいさいしょ)雑種珍獣(ざっしゅちんじゅう)が阪神パークで誕生しました。これが「レオポン」です。
ヒョウを 英語(えいご)で「レオパード」と ()い「ライオン」と組み合わせて,「レオポン」と 名付(なづ)けられました。
1985年(昭和60年)に 最後(さいご)一頭(いっとう)()くなるまで,みんなに (あい)されました。
(甲子園浜こうしえんはま) にあらわれるライオン

水族園のあと (平成20年撮影)

ライオンの顔 (平成20年撮影)

 
今から80年ほど前、甲子園浜の近くに「 (阪神はんしん) パーク」という大きなゆうえん地がありました。阪神パークには、当時としては、とてもめずらしい、動物の (自然しぜん) なすがたを見せる (工夫くふう) をした (動物どうぶつ) えん園や、日本一の (大水槽だいすいそう) のある (水族すいぞく) えん園もありました。この水族館は、日本で初めてクジラの (飼育しいく)(こころ) みたことでも知られています。 ()(しお) になると、海の上にあらわれるコンクリートは、なんと当時の阪神パークのあとです。その中に、このようなライオンのぞう像もあります。甲子園浜の (自然環境しぜんかんきょう) センターに行くと、くわしい (場所ばしょ) がわかります。みなさんも一度さがしてみませんか?
町方まちかた 浜方はまかた
西宮の町は、ふるくから (山陽さんよう) どう道(京都と九州をむすぶむかしの道)のば (宿場しゅくば)(旅人たびびと) が休けいしたりとまったりする場所)を中心にはってんしてきました。しかし、酒づくりがさかんになり、作られたお酒が西宮から江戸へ船で運ばれるようになってくると、お酒やたる(お酒をつめる入れもの)などを作る (業者ぎょうしゃ) や、船をあつかう業者が海の近くに集まるようになりました。こうして西宮の町は、海にむかって南へ大きくはってんしていきます。そして、むかしからあった町を「町方」、新しい町を「浜方」とよぶようになりました。 江戸時代のおわりごろ(今から250年ほど前)には、全人口の4分の3が浜方に集まっていたそうです。酒づくりは、西宮のはってんと大きくかかわっているんですね。

江戸時代の町浜地図(西宮市史第2巻より)