「姫路」の名前は,「
播磨国風土記」というむかしの本に出てくる『
日女道丘』からきています。
神代の昔(神さまがすんでいたおおむかし),
大汝命は,その子ども
火明命があまりにらんぼうものなので,海に出たときに,すててしまおうと島に
置きざりにして船を出しました。ところが,船が出ていくのに気づいた火明命は
大変おこって,風や
波を
起こして船をなんぱさせてしまいました。
その時,船のつみになどが
流れ
着いた場所に「船
丘」「犬丘」「
筥丘」「
琴丘」など14丘の名が付けられましたが,その一つ,
蚕子の流れ着いたところが「
日女道丘」で,今の姫路
城のある「
姫山」であるとされています。「
蚕子」は,古い言葉で「ひめじ」といいました。
地名としての「姫路」という
呼び方は,
江戸
時代の
初め,
池田輝政が姫路城を
築いたとき,
城下町をせいびしたときの
記録に見られます。
|